| vol.5 |
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| 有限会社 ホクブプランニング 代表取締役 田村武 |
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創業当初から「標準」としてきた「次世代基準」仕様の住宅性能。 |
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■相手の気持ちをほぐすような |
あたたかい笑顔。 |
高断熱・高気密住宅の建築では、 |
県内でも草分け的存在。 |
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■ 今年で創業20年です。
田村/88年に設計部門として「ホクブプランニング」、建築業として「北部工務店」を同時に創業してから20年目に入りました。92年に「有限会社ホクブプランニング」として統合し、現在に至っています。この間、決して順調だったとは言えませんが、いまもこうやって地域に根差して仕事が続けられているのは、私たちの家づくりを信じて任せてくださったお施主様、支えてくれた社員や取引先のおかげだと感謝しています。
私自身は、建築の道に入って、そろそろ40年。岩手町に生まれ、中学卒業後に上京し、都内の工務店に勤めながら、夜間は東京建築高等職業訓練校で学びました。5年間は親方の家に住み込みです。1年目の給料は月1万円。給料の半分は実家に仕送りし、残りを貯金と小遣いにしました。貯めたお金で初めて買ったのが、キャノンの一眼レフカメラと10段変速の自転車でしたね。
訓練校を卒業後も同じ工務店で働き続け、25歳頃になると棟梁として任せられるようになりました。30歳で帰郷し、盛岡市内の住宅会社や岩手町の工務店で働いたあと、35歳で独立。翌年には岩手住環境技術研究会に入会しました。帰郷した当時から高断熱・高気密・計画換気を前提とした全館暖房の家づくりを学び、独立時にはすでに性能的には現在の次世代省エネルギー基準をクリアする住宅を標準としてきました。
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■築35年ほどの木造2階建て住宅を |
断熱リフォームした施工例(2003年・盛岡市)。 |
2階は暖房器なしでも十分暖かい。 |
屋根断熱にしたことで広々とした空間に。 |
改修後のC値は0.5cm2/m2。 |
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■ 採用されている工法は。
田村/木造軸組構造に、SHS工法などプラスチック系断熱材による外張り断熱施工をすることが多いのですが、付加断熱にグラスウールを使うなど、物件ごとに適した施工を行っています。逆に言えば、躯体構造や断熱仕様が異なっても、標準的にC値は0.2~0.4cm2/m2、Q値は1.0~1.7cm2/m2を出せるだけの技術を、弊社の大工は身につけているのです。大工は創業当時からのベテランと、中堅、さらには3年前から若手の育成として、職業訓練校を卒業した若者の採用に取り組んでいます(毎年連続して採用し、今年で5名)。いまの体制は経験と知識と体力のバランスがちょうどよく、技術的にも将来性的にも良いレベルにあると自負しています。
暖房設備はお客様の要望や予算に応じて提案しています。また、オール電化住宅は92年頃から手がけてきました。
昨今注目を浴びている断熱リフォームも、当社では2000年頃から取り組んできています。実際、新築以上に手間がかかることが少なくありませんが、環境保護の観点もさることながら、建物を安易にゴミにしないという考えもあり、40年近く建築に携わってきた私個人の生き方も報われるような気がして、積極的に応じています。
素材の選定については「できるだけ自然に還るもの」「長寿命かつ省メンテナンスであるもの」「健康保持に寄与するもの」「見て触れて魅力的なもの」を基本に、お客様の希望や予算を考えながら提案しています。私自身は木が好きですし、すきま風の吹き込む土壁の家で育ち、薪ストーブを囲むあたたかさも体で覚えています。だからといって、住宅は自然素材だけで建てなければ意味がないとは思っていません。この岩手では、エコロジーや省エネルギーへの配慮を前提に、全館暖房を基本とした住宅でなければ、結局、そこに住む家族の健康を守ることができないからです。ご予算の都合や家族の健康状態、メンテナンスの負担など、ご家族それぞれの事情のなかで最良のバランスをとって形にすることが、私たちの役目だと思っています。
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森に入って出会う一本の木から始まる家づくりもあっていい。 |
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■現場にもよく足を運ぶ。 |
図面を眺める眼差しはするどく、 |
まさに職人の顔。 |
見えない部分こそ、 |
丁寧に仕上げないと気が済まない。 |
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■ 高い性能値を維持しながらの「プラスα」をどう考えますか。
田村/結露やカビに悩まされず、厳寒の冬でも家の中では寒さに体を縮ませることなくくつろぐことができ、明日への英気を養える──。そんな快適かつ健康的な温熱環境をつくる裏付けとして、次世代省エネルギー基準レベルの性能値をクリアすることは、岩手に根差す工務店としては当たり前のことだと考えています。住む人の健康を守る、エネルギー消費を抑える、世代を超えて資産となりうる耐久性を持つこと。それらを実現するための性能であり、そこのところは、どんなに安価に仕事を請け負っても譲ることはできません。
「プラスα」をあげるとしたら、日々進歩していく技術を学び、習得する努力を怠らないこと、それに尽きます。その上で、地域の風土といかに調和できるか、家族固有の価値観や暮らし方に、どれだけ寄り添いながら家をつくることができるか、です。一棟ごとに異なる完全自由設計を基本としているのもそのためなのですね。
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■施主と一緒に山に入り、 |
伐採体験からスタートし、このほど完成した住宅。 |
吹き抜けには幅50cm もの梁が渡り、 |
屋根裏まで貫く長尺材をすっきりと収めている。 |
ほとんどが大船渡のスギ材。 |
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■ 施主と一緒に山に入ることから始める家づくりもスタンダードになりつつあります。
田村/昨年から岩手住環境技術研究会の仲間でもある(有)田中建設の田中司社長と、大船渡にある銚子林業の熊谷秀明さんと共同し、スギやアカマツ、クリなどの長尺物を中心とした木材を、割高になることなく仕入れるシステムづくりに取り組んでいます。きっかけは、2004年の冬に熊谷さんの伐採現場に立ち会ったことでした。一本の丸太が倒れる瞬間を目の当たりにして、思わず胸が熱くなりました。山に対する畏敬の念がごく自然に湧き起こりました。それは、私自身の原体験であったことを思い起こさせてくれたのです。
私が生まれ育った家は、地元の大工さんの力を借りつつ、家族や親戚、近所も総出で建てた家でした。幼かった私も、両親と一緒に山に入って土を掘り、藁をまぜて土壁をつくった記憶があります。25歳のときには、親方にお願いして1年間だけ暇をもらって帰省し、実家を新築しました。産みの母は私が10歳の時に他界していましたが、父と二人で山に入り、木を選ぶところから始めました。地元の大工さんにも手伝ってもらいましたが、屋根がかかってからは、ほぼ一人で仕上げました。久しぶりに父と一つ屋根の下で寝起きし、同じご飯を食べることがうれしかったものです。新築後1年で父親は急逝しましたが、わずかばかりの親孝行になったのではと思っています。
あの日、目の前で、ゆっくりと倒れていったスギの大木は、私にそんな懐かしい思い出を呼び起こしてくれました。一軒の家に刻まれる家族の物語は、そこで育った一人ひとりを一生涯支えていくものです。だからこそ、家そのものにも、たくさんの思い出があってほしい。一本の木から始まる家づくりを、お客様にも一緒に体験してほしいと願うのは、そんな思いからです。山に入って伐採現場に立ち会った方は、例外なく感動されます。わが家への愛着も増し、きっと大事に住みこなしてくれることでしょう。そんな想いで家づくりをした両親を見て育つ子どもたちもまた、大事に住み継いでくれるに違いありません。
何より、私たちも楽しいのです。山に入り、十分に成長した木を必要な分だけ伐り、しっかり乾燥させて、無駄なく使う。時間的には効率は悪いけれど、それが家づくりのあるべき姿のような気がしてなりません。お客様の理解なしには実現できませんが、こうした施工例を少しずつ増やしていきたいと思っています。
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制限のなかで最高のものを創り出すことの歓びもあります。
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■常日頃から「社員が気持ちよく
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働けることが、いい家づくりの第一歩」
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とも話す田村社長。
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滝沢村の事務所にて、スタッフと。
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■ 「営業にかける費用を素材に費やす」と明言されています。
田村/自分の原点は大工ですから、徹底した現場主義です。営業マンは一人もいません。営業マンを雇う費用があれば、それを現場に回したいというのが本音です。実際には、お客様が新たなお客様を連れてきてくださるというパターンがいまも大半を占めています。モデルハウスもありませんが、いつも快く見学させてくださるお施主様が少なくありませんので、自分たちの建てた家の一棟一棟が最良のモデルハウスだと思っています。
営業は苦手でも、お客様と膝をつき合わせて語り合う時間は大好きです。お客様の希望に対し、限られた予算のなかで最良の回答を出そうと頭をひねるのは、苦しくもやりがいのある作業。予算や立地条件などさまざまな制限があるなかで、最大限の効果を生む設計であり、施工を積み重ねてきた20年間であったと自負しています。
家を建てる作業は、本来とても楽しいこと。ただ、それが「生業」になるから辛いことも多くなるのでしょう。私自身、家族や社員の生活がおびやかされないのであれば、いっそお金をもらわずに家を建てたいほどです。それでも満足できるほど、建築そのものは楽しい仕事といえます。自分たちが建てた家に責任を持つためにも、社員の人生を支えるためにも、経営を度外視するわけにはいきませんが、家づくりは本来楽しいものであることを常に自身で感じることができる、そんな工務店でありたいと思っています。
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■開口部はあえて大きくとる場合が多い。
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東南には木製サッシのトリプルガラスを、
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雪の積もる北西には樹脂のLow-Eを使うなど、
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性能維持に留意し、適材適所で使い分けも行う。
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■──編集後記
苦労の人である。そして、優しい人である。田村さんとは、かれこれ10年以上の付き合いとなる。いまだかつて、声を荒げるような場面を見たことはない。会議などでも議論が沸騰してくると、ふっと一言冗談を言って、その場を和ませる。酒の席では優しい顔がさらに崩れてよく笑う。とかく厳しさが先にある建築業界のなかで、これだけ優しい物言いと気遣いのできる人は、希有の存在といってよい。
かつて住み込みで働いた東京の親方のもとには、いまも年に数度は顔を見せている。受けた恩義は決して忘れることはない。幼い頃に母親を亡くし、若くして病に倒れた身内がいた。「優しい」の字に「憂い」があるように、深い哀しみを知るからこその優しさなのかもしれない。
建てる側としての自己主張が強くない分、施主の要望は十二分に引き立てられる。こんな家にしたい、こんな暮らしがしたい──。希望をはっきり持つ施主ほど、田村さんの技術や気配りが光ってくるに違いない。無理難題を軽やかに消化し、それを細やかな提案に代えるだけの「引き出し」がいくつもあるからだ。「黒子」の技が秀でているからこそ、主役が光るのである。
山と里とのつながりが途切れて久しい。施主と一緒に山に入り、木を選ぶところから始める家づくりを語る目は、きらきらと輝いている。家づくりの原風景を持たない若い世代ならなおのこと、こんな「大人」が寄り添ってくれたら、安心して新しい家族の物語が紡ぎ出されてくるはず。
家づくり一筋40年。語り口こそ、いつも優しく穏やかだが、やってることの重みが違う。
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